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7年目の3.11

2018.3.11

この日は、夕方から多賀城駅前で行われた万灯会に、撮影としてボランティア参加をしてきました。

あの年から毎年、なぜこんなまで天気が同じなのか。本当に不思議です。毎年、思い出してね、って空が言っているのか。

今年も、雪こそ降らなかったものの、とても寒かった。以前は、毎年このイベントの時には雪が降っていたそうです。そして次の日はからっと晴れる。昨日の様子を、それはそれは影を濃く映し出して。

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震災時、わたしは第一子の妊娠がわかったばかりで誰にもそのことを報告しておらず、会社からキャノンへお使いに出て街を歩いていた時の大地震。揺れがおさまり、会社に戻るもビルはあと何分で閉鎖しますとアナウンスあり、「あ。ってことは明日の撮影はなくなったんだな」と、ホッとしました。その時は。不謹慎にも。。。妊娠したから撮影控えたいんです、って言えていなかったから。

夜は街に住む親戚の家に泊めてもらい、その次の日から何日間か、まるで戦時中かのような光景の中で暮らしました。震災後4日目に、初めてテレビを観ました。びっくりして、ずーっとテレビを観ていました。近所のスーパーに並んで、倉庫で自然解凍された冷凍食品なんかを買いました。3時間並んで買った焼き鳥の美味しかったこと。普段は買わないヤマザキパンの美味しかったこと美味しかったこと。忘れられません。

必死に暮らす中で、わたしの中にどんどん罪悪感が出てきました。

「あんなに沢山の人が亡くなったのに、わたしは命を授かってよかったのか」

この妊娠の前に不妊治療をしていたこともあり、待望の妊娠でした。けど、それを喜べない。産んで、いいのかな。。。この命。

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今、その時の子は6歳になり、4月からは小学生です。

あの時感じた罪悪感は、いまだ、残っています。わたしが産んでよかったのかな、わたしでよかったのかな、と。ずっとそう思いながら、一度は流されてしまった場所に今は3人になったこどもたちと一緒に行くことがよくあります。

三井アウトレットとかカインズ、港の公園なんかでこどもたちをどつきながら、心の中で手をあわせます。笑い声のあるこの場所に深い悲しみがあることを、みんながずっと忘れませんように。こどもたちが、これからも幸せに生きられますように。


亡くなった方々のご冥福を、心からお祈りいたします。

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